↑ ウィスコンシン州のフォークフィールドで1981年8月に撮影されたF105B/57-5838。前ページの白黒写真にもある通り、オーバーラル・カモフラージュに塗装変更されたF-105B/57-5838。機首の両サイドに”XINADU”のニックネームが書かれている。この8月が、本機の現役最後の姿となった。
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↑ 1978年8月 コロラド州バックレイ空軍基地で撮影されたF-105B/57-5834。胴体中央に650ガロンのセンタータンクを付け、3本の燃料タンク姿は、比較的珍しい。
↑ 1976年8月リムーア海軍航空基地のオープンハウスに展示されたF-105B/57-5831。
F-105's Page
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ユタ州ヒル空軍基地にアメリカ空軍で最初にF-16A/Bの実戦部隊が配備され、航空専門誌でも盛んに取材が行われていた時期に、同じ敷地の中で予備役部隊の第466戦術戦闘機中隊は、旧型のサンダーチーフ戦闘機を使って訓練をしていた。アメリカ本国でも1980年にF-105B型を使っていたのは、ニュージャージー州のマクガイア空軍基地の141st TFSと同隊だけだったはずである。それだけにB型は貴重な存在だった。
 第466戦闘機中隊の創設は、太平洋戦争中であり、日本本土を長距離渡洋爆撃するB-29スーパーフォートレス爆撃機の長距離護衛任務を与えられる予定で、長距離対応型のP-47Nの配備を受けてハワイで編成された部隊である。日本との戦いには間に合わなかったようであるが、今度は対象をソ連に換えB-36爆撃機の護衛を担当した。ユタ州ヒル空軍基地に本拠地を移したのは、F-105BとT-33Aの配備をされた1973年で、F-105B/Dを1984年まで使い、最後のサンダーチーフ飛行隊の一つとして活躍した。
↑ 1981年1月マーチ空軍基地で撮影されたF-105B/57-5803。B型は、初期生産モデルで72機が造られた。大量生産されたD型との外見上の違いの一つがM61A1バルカン砲の取り付け位置で、B型はD型より機首前方に砲口が付いており、銃身が機体の中心位置に近かった。
1981年3月に撮影されたF-105B/57-5817。エンジンナセルが開いているように見えるが、此処がエアブレーキになっており、4方向に開く。
↑ 一目でヒル空軍基地と判る写真で、バックにはワサッチ山脈の山々が連なる。F-105B/57-5833は、胴体後部の”AFRES"の文字が大きく書かれている初期の塗装。この機体は最後までここで使われ引退している。1973年8月に撮影されたもの。
508th TFG/466th TFS
F-105B (1973~1981)
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